高倉健さんの晩年、病と闘う日々を献身的に支えた小田貴月さん。
2014年に高倉健さんが83歳で亡くなるまでそばに寄り添い、最期を看取りました。
内縁の妻として過ごしていたにも関わらず、なぜ養女になったのか?
そして、後妻業と噂されている理由を調査しました。
小田貴月さんはなぜ養女になったのか?
小田貴月さんは、高倉健さんと長い期間内縁の妻として生活を共にしていました。
なのになぜ、養女になることを選んだのでしょうか。
きっかけは、小田貴月さんの母が病気で入院し看病に向かう姿を見て、高倉健さんは「親族でないと病状や、これからの治療方針などを説明していただけない」と認識したからだそうです。
ですが、「結婚して世間が騒ぐことがあっては作品に影響する」と葛藤していたのだとか。
“じゃあ、養女はどうか?”と高倉健さんが提案したそうです。
高倉健さんはプロ意識と責任感が非常に高く、作品の質に妥協を許さなかった方だったようなので、自分の行いで回りに迷惑をかけるのが嫌だったのでしょうね。
小田貴月さんも高倉健さんの性格は十分理解していたでしょうから、養女でも十分嬉しかったでしょう。
そのおかげで、「親族」として高倉健さんを看病し、最期を看取ることが出来たのですから。
小田貴月さんが後妻業と噂されている理由は?
高倉健さんを17年間も献身的にそばで支えていたのに、なぜ「後妻業」と噂されているのでしょうか。
理由は、高倉健さんの晩年に養女となり、彼の死後に遺産を相続したことが理由のようです。
他にも「後妻業」といわれている理由があったのでまとめました。
【理由1】年齢差
高倉健さんと小田貴月さんの間には33歳という年齢差があり、このことも「後妻業」という見方を助長しました。
【理由2】高倉健さんの晩年に養女となったこと
高倉健さんの死の1年半前に養子縁組をした。
このタイミングが、遺産目当てではないかという憶測を呼ぶ一因となりました。
【理由3】遺産相続
高倉健さんの死後、小田貴月さんが遺産を相続したことが公表され、これが「遺産目当て」という批判につながりました。
【理由4】メディアの報道
一部のメディアが、小田貴月さんを「謎の女性」などと表現し、憶測に基づいた報道を行ったことも、ネガティブなイメージを広める原因となりました。
【理由5】高倉健さんの物を処分
高倉健さんの愛車のコレクションやクルーザーを処分しました。
鎌倉に墓地を持っていたのですが、小田貴月さんは墓石を取り払い更地にしたのが原因となりました。
小田貴月さんが「後妻業」と言われる背景には、年齢差、晩年の養子縁組、遺産相続といった事実があります。
ですがそれらは、高倉健さん自身の意思や長年の関係性があっての事。
小田貴月さんは「『僕が亡くなった後は頼むよ』とさまざまなことを申しつかっていました。高倉はプライベートな部分を他人に見られることを嫌いましたので、高倉の希望どおり封印しました。」と話しています。
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